老荘思想のいやし 荘子編

荘子〈1〉 (中公クラシックス)
荘子を読む。
老子とともに老荘思想の根幹となっている書物である。

日本人にも、なじみのある言葉が出てくる。胡蝶の夢、無用の用、万物斉同、絶対無差別、真人ありて後に真知あり、などなど。

あるところに影を恐れ、自分の足音すら恐れる男がいた。
影から逃れるためには、走るしかないと思い、彼は走りに走った。
しかし影と足音から逃れられるはずもなく、ますます早く駆けるしかなかった。そしてしまいには、疲れ果てて死んでしまった。
足音と影から逃れるには、木陰にはいって休めばいいということを彼は知らなかったのである。

このような寓話の形をとって、荘子は道(タオ)を説いていく。
上記の寓話は深刻そうな話ではあるが、荘子は「おかしなやつがいるもんだ」と、この話を飄々と語る。その底にはもちろん、荘子の見た人間性というものを透かしてみせる意図があるに違いない。
 
この話を見聞きした者は同じく「おかしなやつがいるもんだ」と思うだろう。
そしてはたと気づく。その男は自分のことではないか。
その、思わず影に囚われそうになった危険な瞬間に、目の前に、目を細める荘子が見えるようである。思わずつられてこちらも笑ってしまう。

そして、実感を込めてつぶやく。「おかしなやつがいるもんだ」

ともあれ老子にはどこか突き放したかのように超人的な、理解しにくいところがあるのに対し、荘子は人間的な、地に足のついたところがある。とはいっても、スケールの大きさは並大抵ではない。うんこから宇宙に至るまでその手の中に収めてみせる。

この書影の中公クラシックス版は、解説も簡潔でかつツボをちゃんと押さえてくれている親切な設計。愛読書として手もとに置いておきたい一品だ。

おもしろい。