マスコミの短絡思考――飯田譲治「ギフト」

連ドラはふだんは滅多に見ないんだが、ふと気になってた「ギフト」を借りて見た。世間的にはいわゆる問題作だとされている。教師をナイフで襲った少年が、キムタク演ずる主人公のバタフライナイフを操る姿を見て憧れナイフを購入した、と発言したことで、マスコミによるバッシングがはじまり、とうとう放送中止に追い込まれたという作品である。

結論から言うと非常におもしろい作品だった。笑いあり涙あり、ちょこっとエロくて、さらにシリアスなテーマありの、いたって正当な、プロによるエンターテイメント作品である。飯田譲治監督のなかでも最良の部類だろう。

簡単にいえば、この作品はかつてナイフを握った男が、ナイフを捨てるまでの青春物語である。しかしこの作品は、少年にナイフを持たせるきっかけになった責任を取れ、ということで社会的に抹殺されている。矛盾ではないだろうか。

ナイフで人を殺して良いか悪いか、こんなことは幼稚園児にでもわかる。ナイフを手にして教師を襲った少年の短絡的思考もそうだが、マスコミのドラマと殺人を安易に結びつける短絡的思考も似たり寄ったりだ。こうした発想で極論するならば、悪影響を与える最たるものがTVニュースであるといえる。

カレー毒殺事件を報じると似たような事件が起きる。炭疽菌がばらまかれたと報じられれば似たような白粉が送り付けられる。自殺法を詳しく報じて似たような自殺をするものが増加する。容疑者はニュースで見たため犯行に及んだのだ、マスコミは責任をとってニュースを放送中止にすべきだ!とは言い過ぎだろうが、せめてメディアが持つ影響力の大きさを自覚し、じゅうぶんに配慮した報道をすべきではないか。こうしたマスコミの悪弊が問題にもされないまま放っておかれているにもかかわらず、ただの娯楽作品であるはずのギフトにおいてはこうした問題が過度に追求され、バッシングを引き起こし、そのまま封印作品となってしまった。矛盾だ。

せめてDVD化ぐらいはしてほしいな。小説版はあるけども。

Gift (講談社文庫)