易経と高い城の男ごっこ

易―中国古典選〈10〉 (朝日選書)

なぜかおもしろいな、と思って読んでいる。
筮竹をじゃらじゃらならして占うやつである。
さすが長い歴史を持つだけあって、内容はかなり深遠で哲学的だ。孔子はもしあと50年生きられるなら占い(易)の研究にすべて費やすだろう、と言っていたとかいないとか。

本格的なものだと、筮竹を使う。それだと一般人には難しいけど、擲銭法というコインを使うやり方ならば簡単で誰でも試せる。西洋人ではライプニッツユングフィリップ・K・ディックも興味を持っていたらしく、とくにリヒャルト・ウィルヘルムの独訳が20世紀前半に出たこともあって同時代のユングやディックは日常の行動指針に使っていたとかいないとか。

迷信だと切り捨てるのは簡単。じっさい「人生どんな状況でもなんとかなるさ」というかんじの著述が深遠な言葉でもって著述されているだけである。これに頼り切るのはいかがなものか、とは思うが、この見通しのきかぬ現代において、少しは自分を勇気づけるツールにはなるかと思います。

僕はフィリップ・K・ディックの「高い城の男」ごっこみたいなかんじで始めてみた。たぶん似たような人は多いと思う。当たるも八卦、当たらぬも八卦、という精神で気楽に用いれば、まあ暇つぶしぐらいにはなるかな。

高い城の男もおもしろいよ。第二次世界大戦で枢軸国側が勝利した、という設定で繰り広げられる、現実と非現実のシャッフルはディックお得意のテーマで、なかでもこの作品の評価は高い。田上という太平洋沿岸諸州の領事がよく筮竹でじゃらじゃらしているのである。


高い城の男 (ハヤカワ文庫 SF 568)



そろそろ孔子孟子老子がくんずほぐれつなエロゲが出ても良い頃。実際もうありそうで怖いところが現代日本の良いところか。