そだ、旅よう、旅にうにでだ

旅に出よう。
そう思いたち、あまつさえ実行してしまったのがいけなかった。


それはともかく、またもいろいろな事があった。
たとえば、鏡である。

旅行に行く前、きれいに拭いておいたはずの鏡が、指紋だらけになり非常に汚れていたのである。

私は憤慨した。
まさしくその怒りは怒髪天を衝くといった感じで、家人はみな一様にすくみ上がったものである。

そのあと私はうってかわって、優しい声で、誰がやったのか密告する者には褒美をとらす、というような趣旨の言葉をそれとなく口に出し、犯人が動き出すのをまった。

別に動き出さなくとも家人の反応で、手がかりぐらいはつかめそうなものであるから、動き出さずともよいのだが。

その夜、私は卓上の鏡をきれいに拭き、眠ることにした。
わざと指紋をつけたかのような、凄まじい指紋のパラダイスが繰り広げられており、もとの輝きを取り戻すのは一苦労だった。
いたずらに違いなかった。



朝が来てベッドからはいあがると、いつもの習慣で鏡の中の自分におはようといった。いつものように、鏡の中の自分はきちんと挨拶を返してくれた。

しかし、またも鏡におびただしい指紋がつきまくっており、おまえがやったのか、と鏡の中の自分に向かって怒鳴った。
この場合、自分に怒鳴るのであるから声に出す必要はなかった。

即座に返事が返ってきた。
そうだ俺だ。何か文句あるか。

そう言っている間にも、鏡の中の自分はぺたぺたと指紋をつけている。
おのれ負けてたまるか、と私も猛然と指紋をつけ始めた。