人類は未だ闇の中――カール・セーガン「悪霊にさいなまれる世界」

悪霊にさいなまれる世界〈上〉―「知の闇を照らす灯」としての科学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

いわゆるオカルトやらニセ科学批判の科学啓蒙書。
さすがカール・セーガンで、平易で簡潔。分厚いが非常に読みやすいので、すらすらと読める。

いかに人間が騙されやすいか――宗教やオカルト、ニセ科学を無批判に受け入れることか。これでもかというほど、事例を挙げて批判を行っている。UFO、超能力、火星人、心霊術、科学を装ったエセ科学などなど。日本でいうのならマイナスイオンとか血液型性格判断ゲーム脳などだろうか。

僕は思うのだが、この「悪霊の世界」は、人間の本能に深く根ざした感情をもとにして増殖するので、こうした虚妄を完全に根絶することは難しいだろう。

人の騙されやすさは、人への信頼というアンビバレンツな感情と共にある。古くから、人が生き残るためには集団を必要とし、集団を維持するためには信頼関係が必要であり、信頼を維持するためには、集団への批判は黙殺されねばならない。それどころか批判者は集団の生存を脅かす敵と見なされかねない。

ということで、オカルト者にとっては科学者が敵対者となりやすい。彼らは批判者を敵としか見ることができない。科学者を、「懐疑精神」という自浄作用のある合理的な知識を体系的に習得した人間として見なすのではなく、敵集団としてしかとらえられない。

ところがこれがオカルト者だけの問題でないことは、人間集団というものをつぶさに観察すればすぐにわかることである。つまるところ、科学の側に立っている者でも、オカルト者をあるいは政治的な理由で対立する者を、敵集団としかとらえられない場合がよくあるのだ。

悲しいことだが、どのような怜悧な知性を持っている人間でも、罪を憎んで人憎まず、というわけにはいかないようだ。こういう問題にも、セーガンは一歩踏み込んで説明している。赤裸々に、科学者同士の対立も描いている。

つまり彼らは――僕たちは、まだ現代を生きておらず、古代に生きているのだ。僕らの瞳に映る闇の中には、未だ怪物がひしめき合い、悪霊がとびかう「悪霊の世界」が息づいている。誰もそこからは逃れられない。だからこそ武器としての、闇を照らす光としての「懐疑精神」もて、とセーガンはいう。それと同時に、不思議さに驚嘆する感性を育てることも、むずかしくはないと。

しかしそれも、しかたのないことかもしれない。
科学技術の興隆はせいぜいここ数世紀ぐらいの歴史しかない。
数万年近く、この悪霊の支配する世界で、人類の祖先は生きてきたのだ。

人間が悪霊から解放されるのは、あるいはそれと同じくらい時間がかかるのかもしれない。


悪霊にさいなまれる世界〈下〉―「知の闇を照らす灯」としての科学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
ニヤリ